2016年02月

昨日は家族揃って、凛太郎の慢性ヘルニア定期検査のために伊賀市の動物病院までロングドライブをしていました。

車酔いをすることが多いハクのために母ちゃん以外は朝抜きです。

出かける前に、「みんなで車に乗っていくからな~。」と声掛けし探索四十たせいか、ハクは動こうとしません。
あるいは「朝ごはんまだやのに、どっか行くなんて考えられん」と思っていたのかもしれません。

ハクは、基本的に車があまり好きではないようです。
凛太郎が早く乗りたいとカラダ全体で嬉しさを表しているのに対し、ハクは耳をペタっとして、なるだけ車から離れたところでお座りをしていました。

以前に途中で飼い主が食べているものを少しあげただけでも車酔いをしたので、着くまでは一切食べるものはフタリにはあげず、病院について、受付をすませた後で、駐車場で朝ごはんです。

不思議な事に、この後は車酔いしません。なんででしょうね。往路で「慣れ」るんでしょうか。

帰りに凛太郎のガールフレンドもモモちゃんに会いました。
モモちゃんのお母さんと阿山の道の駅で待ち合わせをしていました。

まずは昼食と「味噌煮込みうどん」という名前に惹かれて注文しましたが、完全に大ハズレでした。
でも、もったいないので食べました。
食べながらモモちゃんの最近の出来事を聞きました。

モモちゃんは、つい最近膵炎を患ったそうです。その話を聞いたせいか、いささか精彩に欠けているようにも見えました。凛太郎と同い年で、同じように白いものが目立ってきています。でも、相変わらず可愛いい
私たち家族全員のこともちゃんと覚えてくれていました。
顔見知りのはずの他犬にも、ほぼ100%吠える凛太郎もモモちゃんには吠えません。
二人とも超絶久しぶりに女子に会えた!という感じで、2人は代わる代わるモモちゃんのお尻のニオイを嗅いでいました。
モモちゃんは「どうぞご自由に~」という感じで動じること無く知ら探索四十ん振りでした。

犬3匹とニンゲン2人で、少し散歩もし、近況を語り合いました。

動物のお医者さんもいろいろおられるようで、飼い主は突然の犬の異変に大変こころを痛めます。
何が悪かったんやろ、どうしてこうなったんやろ。

お医者さんとしたら「可能性」の話をされるのですが、「死ぬかもしれん」「危ない」とか言われたら茫然自失、何を聞いて良いのかわからなくなります。
モモちゃんは即入院だったそうです。

モモちゃんのお母さんは、それは心配されたようですが、何を聞いてよいかわからないからお医者さんの言われる通りにされていたそうですが、元気を快復してくると「お医者さんが治してくれたのか、本当は最初から大したことなかったのか」と猜疑心も出てこられたようです。
モモちゃんは4日の入院でなんと12万円もかかったそうです。

それで、「凛太郎の行っている病院に変えたら?」と言ってみました。
お母さんもその選択肢も考えられたそうですが、大したことないと思い、いつも行っている病院へと、とにかく車を走らされたそうです。

凛太郎が行っている病院は他府県からもたくさん患畜さんが来られる設備が整った病院です。

ニンゲンもそうですが、ワンコに対しても「最初にかかったお医者さんにずっと行かないと」とついつい思ってしまいます。
でも飼い主が信頼できないと思ったら、変えた方が良いと私は思います。
いいとか悪いはご近所の犬や猫を飼っている方の評判も聞こえますしね。

言葉の話せないワンコのことですから、飼い主に親切に説明してくれるお医者さんの方がいいに決まっています。
モモちゃんの食事療法についても今だけなのか、今後もずっとなのかの詳しい説明もなかったようなので、お母さんもそのへんも不満だったようです。

ワンもニャンもかけがえのない家族だし、ニンゲンのように話せないから、余計にちゃんと説明して欲しいと飼い主の探索四十 思いはいずれも同じ。
特に「危ない」とか動転するようなことを言われると、本当に何を聞いて良いかわからなくなります。
お母さんは「看取り」の覚悟も決められたと言うておられました。
快復の兆しが見えて、退院となるなら、余計に今後、飼い主が気をつけるべきことなど詳細に説明して欲しいものです。

さて、ひとしきり喋った後、帰りにいつも寄る大津のパーキングエリアで休憩。 

母の作る餃子の味は、独特だ。どこに行っても同じ味の餃子は食べられない。結婚して、家をでた姉と私が帰省すると、「どこかへおいしいものでも食べにい く?」と父も母も聞いてくる。でも私たちが一番食べたいのは、どんな豪華な外食より、母の作った餃子だったりする。皮の中身はひき肉とニラとキャベツだ け。味付けは塩胡椒のみ。でもどこの餃子よりもおいしくて、ご飯がすすむ。あんな餃子はほかでは食べたことがない。

「お母さんの餃子っ て、なんであんなにおいしいのかな。」姉と話し合ったことがある。私が「お母さんって、別にそんなに料理上手ってわけでもない し、あの餃子だって適当に作ってる感じなのにね。」というと、姉が「あの適当な感じがいいんだと思うな。うまくやろうと思えば思うほど、絶対に作れない よ。」といった。なるほど、たしかに、具はみじん切りではなく、適当に切り刻んであるので、ざくざくしている。そしてそれらはスプーンでさっさっと鋼琴搬運交ぜら れてるので完全に混ざってはいない。そして塩胡椒を適当にふりかける。さらに焦げ加減は絶妙。結果、具それぞれの味がしっかりして、それに皮の焦げが ジューシーに絡み合って、いい感じ。

娘二人からお手製餃子をリクエストされると、母はちょっと嬉しそうに、「なんか緊張するわあ。うまく 作れるかな。」といいながら台所に立つ。「うまくやろうと意気込まなくていいって。あの適当な餃子が食べたいねん。」というと、「なんやの、それ。」とい いながら笑う。出てきたちょっと焦げた餃子はやっぱりとてもおいしい。姉と、「やっぱりこの具が混ざりきってない感じとか、最高だねえ。」と言いながら食 べる。山のように出てきた餃子はあっという間になくなっていく。

私たちがまだ学生だったころ、母はフルタイムでパートにでていて忙しかっ た。パートに出たきっかけは姉の私立中学進学だった。「うちは残してやれる財産はないけど、学歴だけは、本人が頑張るかぎりつけさせてやりたい。学歴はお 金に勝る財産になりえる。」母はそういっていた。結局、私も姉も中学高校 と私立に進み、最後は大学院まで進学させてもらった。

一日パートに出て、夕方帰ってきて急いで夕食を作る。そんな忙しい日々の中で、母のざつな餃子は作られていたのだ。なぜかそんな餃子が、本当に本当においしいのだ。

六十を超えて、娘二人を嫁にだした母は今、自分が若いころに行けなかった大学に、通っている。相変わらず忙しい毎日の母である。いつまでも元気で、私たちが帰る時は、餃子を作って迎えてほしいものだ。

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